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野山に出かけて花を愛でるのが大好きな一家です。

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拝ケ石巨石群(おがみがいしきょせきぐん)は、
本妙寺方面から金峰山に向かって行って、
峠の茶屋の先の交差点を右に入り暫く行くとあります。

金峰山周辺には放牛石仏が点在していて、
その撮影のついでといいますか・・・
以前から気になっていたのでちょっと寄ってみました。
1拝ヶ石看板
『拝ヶ石山の頂上付近には、
 最大で約9mもの大きさがある石の巨石群があり、
 中世の宗教遺跡・修験の道場跡と考えられている。
 最近、研究家によりペトログラフや、磁気異常が発見され、
 古代のロマンと謎を秘めている。』
というようなことが書いてあります。

5分間歩き、急に開けたと思ったら、階段が・・・
2拝ヶ石階段

えっこらえっこら登って拝ヶ石巨石群に到着。
3拝ヶ石
大きな石が林の中にこれだけあると、やっぱりなんだか神聖な雰囲気
5拝ヶ石巨石群

4拝ヶ石看板2
大きな石には色々名前があるようです。
6亀石
山の下の方には堀切の道もあるので、
こちらは昔は道として利用されていたようです。
7道
パワースポットとして、もしくは森林浴の場として
30分のお散歩にいかがでしょうか

今年の夏から
パソコン操作もおぼつかない素人が始めた、
内容もあまり統一性のない
ぱやんぷ一家のつたないブログにご訪問いただきまして
どうもありがとうございます。

来年もこんな感じで続くと思いますが、
どうぞ宜しくお願いいたします。

みなさま良いお年を。 
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Category: 山や丘歩き
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放牛石仏の3体目です。
同じ地蔵堂の中に一緒に27体目もあります。

3号線が通っている長六橋と、その下流の泰平橋の間の
本山団地のそばの白川ぞいを走る道(左岸)の脇にあります。

小さな公園みたいになっていて、
そこには阿蘇大明神社というお堂もあり、
そのお堂はネットの地図にも載っていますのでわかりやすいです。
3体目27体目ー1

3体目27体目ー2
お堂の扉に鍵がかかっているので、
格子戸の外からなんとか撮影しました。
3体目ー2
3体目 享保8年(1723年)建立
光背の部分が壊れて無くなっていました。
3体目ー1
3体目の台石には、歌が彫ってあったそうです。

『くわこ(過去)よりも 未来に通る一休み
 雨降らば降れ 風吹かば吹け』


27体目 享保10年(1725年)建立
近づけないのではっきりとは見えませんが、
文字が彫ってあるのはわかります。
27体目ー1
笑っていらっしゃるのか、穏やかなお顔をされたお地蔵様でした。

放牛石仏についての初回の記事はこちらです
放牛石仏 
Category: 放牛石仏
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2013.12.29/ 22:19(Sun)
ちょっと前のですが、熊本市の東部にある江津湖と、
父ちゃんの実家の庭で見た鳥さんです。

ヒドリガモ
ヒドリガモ

ボタンウキクサの上を歩いていた、バンの幼鳥
バンの幼鳥

何か調査されてるみたい・・・
調査中?

調査中の船が来たので、一斉に飛び立ってしまいました。
調査中の船にビックリ

ゴイサギの幼鳥
ゴイサギ幼鳥1
逃げると思いきや、眠たそうにして、
とうとうその場を離れませんでした。
ゴイサギ2
起こさないように、かえってこっちが気を使ってしまいました 
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2013.12.26/ 16:55(Thu)
タンキリマメ マメ科 本州(関東地方以西)~沖縄に分布
もう、さやの色がずいぶんと色あせていました。
11タンキリマメ

シロノセンダングサ キク科 帰化植物
12シロノセンダングサ
色々読んでみると
舌状花の大きさがシロノセンダングサは5~7mm。
オオバナノセンダングサは15mm内外とか・・・
ちゃんと測ってきていないので困ったなぁ・・・と思っていたら、
『とくに区別しない場合は「シロノセンダングサ」で』と
ネットに書いてあったので、ここはシロノセンダングサということで

コセンダングサ キク科 帰化植物
13コセンダングサ
頭花が黄色く、舌状花が無いことでアメリカセンダングサに似ますが、
アメリカセンダングサは総苞片が大きいので、区別できます。
(まれに、小さい白い舌状花が少しあることもあるそうです)

シマカンギク キク科 別名アブラギク
本州(近畿地方以西)、四国、九州に分布
シマカンギクの綺麗なものもだいぶ減ってきたかな・・・。
14シマカンギク

ネズミモチ モクセイ科 常緑小高木 高さ2~8m
本州(中部地方以西)、四国、九州、沖縄に分布 
15ネズミモチ
名前の由来は、果実がネズミのふんに似ることからです。

タチバナモドキ バラ科 常緑低木 高さ2~4m
中国南部原産で明治時代に渡来
16タチバナモドキ
トキワサンザシに似ていますが、こちらは実がオレンジ色です。
鳥が種を落としてここに生えたのかな?
「名前の由来は、葉がタチバナに似るから、
また実をカラタチバナに模したともいわれるため」とのことです。

フデリンドウ リンドウ科 北海道~九州に分布
17フデリンドウ
山道をゼイゼイしながら登っていると、枯葉の隙間からコンニチワ
ガンバレ!ガンバレ!って言われてるみたいで元気が出ました。
これからもっと寒くなるから、
フデリンドウさんも、他の花も受験生もみんな負けずにガンバレ

参考文献
『野山の樹木観察図鑑』成美堂出版 1998年、『街の樹木観察図鑑』成美堂出版 1999年
『身近な野草・雑草』主婦の友社 2011年、『原色日本帰化植物図鑑』保育社 1976年 
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2013.12.25/ 23:33(Wed)
木葉山(このはやま)は、玉名郡玉東町の北端にあります。
287mと、ぱやんぷ一家には丁度お手頃な高さです。

でも、低いからといって侮(あなど)ってはいけません。
以前、ちょっと脇道にそれたせいで、
本気で遭難するかと思ったこともあるので・・・。

まぁ・・・登り始める時間が午後からなんで、
冬に道からはずれてしまうと、
どんどん日が暮れて、見えなくなってくるわけで・・・
自業自得なのですが
あの時は、こんな低い山で遭難とか
シャレにならんってホント焦りました

前回は役場に車を停めて、役場裏から登ったのですが、
今回は、木葉小学校の裏の方にある熊本鉱業そばの
鳥居から入る登山道からにしました。
1木葉山登山口 12時49分
結構な坂道をゼイゼイしながら登ります。
2登山道 1
花などの写真を撮影しつつ、40分で木葉山の山頂に到着。
山頂にある『霊雨山(れいうざん)神社』です。
3霊雨山神社
山頂からは九州新幹線が走る様子や、
こんなのどかな田んぼの中を在来線が走る姿が見下ろせます。
3山頂から
暫く休憩の後、松ヶ平へ向けて出発。
木葉山の山頂すぐ下にあるカエルの形をした岩です。
4権現カエル
5分ほどで分岐地点に到着。
ここから左に進みます。
5松ヶ平へ
枝なのか、根なのかわからんような樹をまたぎ、
6登山道 2
あれ?ここじゃないの?っと疑いたくなるような
アップダウンを3回ほど繰り返し、
7登山道 3
分岐から約45分で松ヶ平に到着。
8松ヶ平山頂
松ヶ平には4つの石祠(せきし)が並んでいました。
9松ヶ平山頂
本当は長崎の普賢岳が見えるはずなのですが、
PM2.5の影響か、海すらも見えず残念でした

また来た道を戻って、丁度1時間で車に到着。
写真を撮ったり、
新幹線が走るのを眺めるためにゆる~っと待ったりして、
トータル3時間20分だったので、
普通に歩いていれば、3時間もかからないくらいで往復できます。

まだ蝶々が飛んでいました。
1匹で寂しくないの?と見ていたら、もう1匹いてホッとしました
ヒメアカタテハ
ヒメアカタテハ 
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2013.12.24/ 23:44(Tue)
菊水酒造 (新潟県)
菊水 純米酒
アルコール度数 15度
精米歩合 70%
米、米麹
新潟 菊水 純米酒 (1)
まったり濃い感じはあまりないです。
でも、さらさらっともしていない・・・
これといった特徴がないというか・・・
ちょっぴりまったりで、
少し酸味がある辛口なお味でした
 
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2013.12.24/ 23:39(Tue)
美和桜酒造 (広島県)
美和桜 にごり酒
アルコール度数 18度~19度
米、米麹、醸造アルコール、糖類
(雑酒)
広島 美和桜 にごり酒 (1)
甘くて、アルコール臭が少~しあります
甘酒みたいな感じ 
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写真がいまひとつなのですが・・・
お蔵入りさせずに恥ずかしながら・・・です

ベニバナボロギク キク科
南アフリカ原産の帰化植物で1年草  花期は夏~初冬
1ベニバナボロギク1
葉は、両面にねた毛がまばらにあり、
互生し、楕円形、しばし羽状に中~深裂
さらに不揃いの鋭い鋸歯がある。

1950年、福岡県で初めて確認されました。
森林伐採や、山火事のあとなどに急に繁殖、
数年で場所を移すそうで、
山火事跡にいち早く入り込むため、
アメリカでは「fire weed(火の草)」と呼ばれるそうです。

茎は直立し高さ30~100cm
2ベニバナボロギク2

頭花がうつむいて咲き、
花はすべて管状花で、先端が紅色~赤レンガ色を帯びる。
3ベニバナボロギク3
お花のうちはコンニチワしてるけど、
種を飛ばす時はさすがに上を向いて「さぁ、飛んで行け~!」って感じです

我が家は食べたことはありませんが、
食べれるそうで、春菊に似た香りがあり、
南洋では南洋春菊、台湾では昭和草と呼ばれていたそうです。


ダンドボロギク キク科
北アメリカ原産の帰化植物で1年草  花期は夏~初冬
4ダンドボロギク1
こちらも、山地の伐採跡地や、崩壊地などに生えていることが多いです。

ほとんど無毛。
茎は50~150cm直立し縦にすじがある。
葉は互生し披針形で、へりに鋸歯があり、しばしば欠刻状になる。
茎の上部の葉では、葉柄が無く、やや茎を抱く。
5ダンドボロギク2

名前の由来は、1933年に愛知県の段戸山で最初に採取されることによるそうです。

花はすべて管状花で、花冠筒は白色で、先は淡黄緑色。
花序は直立、頭花は下向きに垂れることがない。
でも・・・・ちょっと向いてる?
下は向かないけど、上ばっかりでもなさそう・・・横とか・・。
6ベニバナボロギクとダンドボロギク1
こうして見ると、ベニバナボロギクのコンニチワ具合は半端ないですね。
水が足りないのかと不安になりますです。

ダンドボロギクの変種に『ウシノタケダグサ』というのがあり、
ダンドボロギクがほぼ無毛なのに対し、
そちらは毛が多く、葉は深列するらしいです。(八丈、南西諸島、小笠原に帰化)


ボロギクつながりで、この花も。

ノボロギク キク科
ヨーロッパ原産の帰化植物で1年草 花期3~12月
明治初年頃に渡来。
大正時代には全国的に普通だったそうです。
でも、私の周りではなぜかあんまり見かけないかな・・・。
7ノボロギク
茎は赤みを帯び高さ10~40cm
花はすべて管状花で、先端は黄色です。

ノボロギクは、
リンクさせていただいている
『切り撮りLittle Garden』さんが12月21日に
アップされている写真の方が綺麗ですので、
そちらで見られた方がよくわかりますです
咲けないみたいなノボロギク

参考文献
『原色日本帰化植物図鑑』保育社 1976年、『日本の野草』小学館 1991年
『身近な野草・雑草』主婦の友社 2011年、『野草検索図鑑』学習研究社 1985年 
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2013.12.22/ 00:00(Sun)
放牛石仏の第2体目です。

熊本市南区近見3丁目にあります。
国道3号線の熊本南警察署を南下して行くと
近見交番南という信号がありますので、
そこから左折して細い道に入り、最初の四つ角を右折して
すぐ右側にあります。
「ボディショップおおすみ」さんのお向かいです。

他所のお宅の敷地内に入り込んだかたちでお堂があります。

2体目ー1

享保7年(1722年)建立

2体目ー2
お顔は風化していましたが、
文字は読み取れます。

『一心に念仏』と彫ってあります。

熊本古大工町は、今でも熊本市中央区古大工町として町名が残っています。
放牛が住んでいた町です。
 
Category: 放牛石仏
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2013.12.21/ 00:29(Sat)
今日は『放牛地蔵』という
お地蔵さまについてお話ししたいと思います。

今回は文章が長くなりますがよかったら、お付き合いください


昔、熊本に放牛(ほうぎゅう)といわれる
お坊さまがおられました。

今から約300年ぐらい前の話です。

このお坊さまは、
享保7年(1722年)から享保17年(1732年)の11年間に
石仏を建立され、それが今も熊本のあちこちに残っています。

享保といえば『享保の改革』『享保の大飢饉』があった元号です。

放牛は、まだ子供の頃、
兄弟げんかをしている時に、
父親がやめさせようと投げた火吹き竹が、
たまたま通りがかったお侍の額に当たり
父親は切捨て御免になったそうです。

単なる昔話の言い伝えではなく、
『奉行所日記』や、放牛と同じ時代の
堀内伝右衛門という藩士が書いた『旦夕(たんせき)覚書』に
このことは書いてあるそうです。

母親の記録がないことから、子供だけになって
お寺に預けられたのではないかと・・・。
そうしてお坊さんになられたのかもしれません。

石仏が建立された頃の熊本は、
洪水、干ばつ、台風、虫の大量発生などによって
不作な年が何年かごとにやってきて、
そして、享保17年には「享保の大飢饉」といわれる
大変な年になります。

この年の11月に放牛は亡くなったそうです。

石仏には、ほぼ番号が彫ってあり(番号が無いものもあります)
107番まで確認されています。


初めて放牛地蔵の存在を知ったのは、15年前。
たまたま信号で停まった道の脇にありました。

『放牛地蔵』と書いた木の杭が立ててあって
その時は田舎道だったので
「牛の神様?」としか思わなかったのですが、
それから暫くして街の中で見かけ・・・

調べてみると、『放牛』とはお坊さまの名前で、
こういうお地蔵様が県内に100体以上あるとのこと。

そして、今まで目にしていたお地蔵様が
全然知らなかったけど、実はそれだったりして、
意外と身近に在って驚きました。

興味を持ち、5年ほどかけて、
現時点で所在が分かっている
お地蔵様全部をみて回りました。

あれから10年。
久しぶりにまた回ってみることにしました。


先ずは、第1体目です。
享保7年(1722年)建立

熊本市田迎(たむかえ)小学校の正門前にあります。
1、1体目-2

2、1体目-1
石碑の説明の中に書いてある銘文です。
『募化戮力 彫刻座像地蔵尊 立于道側 蓋普 結大縁 同生浄邦  享保七年壬寅五月 放牛』

書き下してみると
『募化し戮力し 座像・地蔵尊を彫刻し 道側に立つ 蓋し普く 
 大縁を結び 同に浄邦に生まれん  享保七年壬寅五月 放牛』

募化…僧侶などが布施を募る
戮力…りくりょく 力を合わせる
蓋し…けだし 思うに、きっと
普く…あまねく 広く
同に…ともに
浄邦…じょうぼう 阿弥陀如来の邦(クニ)即ち浄土

3、1体目-3
お顔も、文字も、もうはっきりとはわかりません。

5、1体目ー4
10数年前もそうでしたが、
新しいお花や、お供え物があり
地域の方にとても大切にされているようでした。

放牛石仏を調べるにあたり、
10年前と、今回、これからの分も、
『福井さんちの 夢 を届けるホームページ』
放牛石仏を求めて
を、参考にさせていただきました。

とても詳しく調べていらっしゃいますので
興味があられる方は、是非そちらをご覧ください。 
Category: 放牛石仏
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まとめ
 
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