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2014.03.03/ 22:19(Mon)
久しぶりに放牛石仏のつづきをアップします。

放牛石仏についての初回の記事はこちらです
放牛石仏

前回3体目までアップしましたが、
4体目の番号が入った石仏はまだ見つかっていません。

ので、今回は5体目です。

何体かは未発見だったり、戦災で無くなってしまったり、
もしくは、あった場所から紛失してしまって
無くなってしまったお地蔵様もあります。

お地蔵様を見かけると、未発見のものかも
と思って色んな角度から見てみるのですが、
そうそう簡単に見つかるものではないですね

放牛石仏の5体目は
享保8年(1723年)建立です。291年前です。

熊本市西区春日4丁目。
花岡山に登る道の途中にあります。
5体目ー2
ここは隣がゴミ置き場なんですよね・・・。
5体目ー1
とても素朴な雰囲気のお地蔵様です。

光背が割れたらしく、セメントで修理してありました。
5体目-3

隣に台石が置いてありました。
5体目ー4
他にも文字がありますが、読み取れませんでした。

3体目と同じく、この石仏にも
「過去よりも 未来に通る一と休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け」
の歌があったそうです。

前年の享保7年に飢饉と洪水がおこったそうです。
翌年になるこの年も、前年の余波が残って
人々は苦しい生活だったことと思われます。 
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Category: 放牛石仏
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放牛石仏の3体目です。
同じ地蔵堂の中に一緒に27体目もあります。

3号線が通っている長六橋と、その下流の泰平橋の間の
本山団地のそばの白川ぞいを走る道(左岸)の脇にあります。

小さな公園みたいになっていて、
そこには阿蘇大明神社というお堂もあり、
そのお堂はネットの地図にも載っていますのでわかりやすいです。
3体目27体目ー1

3体目27体目ー2
お堂の扉に鍵がかかっているので、
格子戸の外からなんとか撮影しました。
3体目ー2
3体目 享保8年(1723年)建立
光背の部分が壊れて無くなっていました。
3体目ー1
3体目の台石には、歌が彫ってあったそうです。

『くわこ(過去)よりも 未来に通る一休み
 雨降らば降れ 風吹かば吹け』


27体目 享保10年(1725年)建立
近づけないのではっきりとは見えませんが、
文字が彫ってあるのはわかります。
27体目ー1
笑っていらっしゃるのか、穏やかなお顔をされたお地蔵様でした。

放牛石仏についての初回の記事はこちらです
放牛石仏 
Category: 放牛石仏
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2013.12.22/ 00:00(Sun)
放牛石仏の第2体目です。

熊本市南区近見3丁目にあります。
国道3号線の熊本南警察署を南下して行くと
近見交番南という信号がありますので、
そこから左折して細い道に入り、最初の四つ角を右折して
すぐ右側にあります。
「ボディショップおおすみ」さんのお向かいです。

他所のお宅の敷地内に入り込んだかたちでお堂があります。

2体目ー1

享保7年(1722年)建立

2体目ー2
お顔は風化していましたが、
文字は読み取れます。

『一心に念仏』と彫ってあります。

熊本古大工町は、今でも熊本市中央区古大工町として町名が残っています。
放牛が住んでいた町です。
 
Category: 放牛石仏
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2013.12.21/ 00:29(Sat)
今日は『放牛地蔵』という
お地蔵さまについてお話ししたいと思います。

今回は文章が長くなりますがよかったら、お付き合いください


昔、熊本に放牛(ほうぎゅう)といわれる
お坊さまがおられました。

今から約300年ぐらい前の話です。

このお坊さまは、
享保7年(1722年)から享保17年(1732年)の11年間に
石仏を建立され、それが今も熊本のあちこちに残っています。

享保といえば『享保の改革』『享保の大飢饉』があった元号です。

放牛は、まだ子供の頃、
兄弟げんかをしている時に、
父親がやめさせようと投げた火吹き竹が、
たまたま通りがかったお侍の額に当たり
父親は切捨て御免になったそうです。

単なる昔話の言い伝えではなく、
『奉行所日記』や、放牛と同じ時代の
堀内伝右衛門という藩士が書いた『旦夕(たんせき)覚書』に
このことは書いてあるそうです。

母親の記録がないことから、子供だけになって
お寺に預けられたのではないかと・・・。
そうしてお坊さんになられたのかもしれません。

石仏が建立された頃の熊本は、
洪水、干ばつ、台風、虫の大量発生などによって
不作な年が何年かごとにやってきて、
そして、享保17年には「享保の大飢饉」といわれる
大変な年になります。

この年の11月に放牛は亡くなったそうです。

石仏には、ほぼ番号が彫ってあり(番号が無いものもあります)
107番まで確認されています。


初めて放牛地蔵の存在を知ったのは、15年前。
たまたま信号で停まった道の脇にありました。

『放牛地蔵』と書いた木の杭が立ててあって
その時は田舎道だったので
「牛の神様?」としか思わなかったのですが、
それから暫くして街の中で見かけ・・・

調べてみると、『放牛』とはお坊さまの名前で、
こういうお地蔵様が県内に100体以上あるとのこと。

そして、今まで目にしていたお地蔵様が
全然知らなかったけど、実はそれだったりして、
意外と身近に在って驚きました。

興味を持ち、5年ほどかけて、
現時点で所在が分かっている
お地蔵様全部をみて回りました。

あれから10年。
久しぶりにまた回ってみることにしました。


先ずは、第1体目です。
享保7年(1722年)建立

熊本市田迎(たむかえ)小学校の正門前にあります。
1、1体目-2

2、1体目-1
石碑の説明の中に書いてある銘文です。
『募化戮力 彫刻座像地蔵尊 立于道側 蓋普 結大縁 同生浄邦  享保七年壬寅五月 放牛』

書き下してみると
『募化し戮力し 座像・地蔵尊を彫刻し 道側に立つ 蓋し普く 
 大縁を結び 同に浄邦に生まれん  享保七年壬寅五月 放牛』

募化…僧侶などが布施を募る
戮力…りくりょく 力を合わせる
蓋し…けだし 思うに、きっと
普く…あまねく 広く
同に…ともに
浄邦…じょうぼう 阿弥陀如来の邦(クニ)即ち浄土

3、1体目-3
お顔も、文字も、もうはっきりとはわかりません。

5、1体目ー4
10数年前もそうでしたが、
新しいお花や、お供え物があり
地域の方にとても大切にされているようでした。

放牛石仏を調べるにあたり、
10年前と、今回、これからの分も、
『福井さんちの 夢 を届けるホームページ』
放牛石仏を求めて
を、参考にさせていただきました。

とても詳しく調べていらっしゃいますので
興味があられる方は、是非そちらをご覧ください。 
Category: 放牛石仏
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まとめ
 
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